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カラバッシュで青森ねぶた祭

三和導代です。

先週末は東京・浜松町駅近く私のアジトである西アフリカレストラン・カラバッシュにてAOMORI KENJIN ライブに参加しました。AOMORI KENJIN(Vo.G)、TOCHGI GENJIN(Perc.Chor)、パイナップルてつ(フルート)、お岩木かや(津軽笛)、佞武多てる(和太鼓)、林檎娘まめ(チャッパ)とそうそうたるメンバー

テーマは青森、青森といえばねぶた祭りですね。青森県の夏の風物詩で東北を代表とするお祭りの一つである「 青森ねぶた祭り 」が今年は2022年8月2日から7日まで開催されました。コロナ禍で中止の連続3年ぶりでした。

祭りに欠かせないのは笛(篠笛)七節からなる澄んだ深みのある音色を出せるのには約3年かかるとも言われているそうです。初日は"感謝の気持ちを表し"、2日目は"神を迎える"、3日目は"神が降下し"、4・5日目は"歓喜と乱舞"、6日目が"神送り"、7日目は"神は天から悪役や災難を祓って安らかな生活がやって来る"という意味とのこと。

太鼓はもちろん、笛と太鼓と手振り鉦が揃ってねぶた囃子となります。ねじり鉢巻に揃いの半纏でシャン、シャンと粋な囃子で練り歩く、日本の夏の風物詩です。

その会場が西アフリカレストランというのもとてもユニークな発想です。西アフリカの人びとは生まれてから死ぬまで、踊って歌っての生活が日常です。喜びも悲しみもすべては体で表現します。彼らのエネルギッシュあふれる姿と日本の祭りに参加する人々の姿はコンセプトは同じだと思います。

人間が神にささげるエネルギー、神はそれを喜び、その代償として人間にご褒美を、そんな関係から始まったのかもしれませんね。

夏祭りin菰野

三和 導代 です。

今年の夏まつりが3日間、三重県菰野町にて開催されました。初日の8月11日は私は地元の埼玉県にてセミナーがありましたので参加できませんでしたが、翌日12日から14日まで夏祭りの準備と参加で新たなるエネルギーを発出した夏のイベントでした。

初日は日本の祭り(私は欠席)、13日はアメリカインディアン、14日はイタリアがテーマでした。食事やパーフォンマンスと参加型のイベントです。まあ、日常生活では体感することができない体験です。これは日本ダマヌールでのイタリアダマヌールに発するゲームオフライフの年に一度のビッグイベントです。

日常の生活と離れたビッグイベントの為に1か月以上も前からグループごとにじっくりと計画を練り、練習を重ねていきます。皆、全国各地に住んでいますので、基本的にはLineやzoomにて連絡を取りながら準備をします。このエネルギーは半端なものではありません。特にリーダーとなった人は倒れるばかりにグループを引っ張りながら、突き進みます。これはまさに日本の体育会系の活動をはるかに上回るものです。

現代においては個人主義の中で過ごしている私たちにとっては、グループで活動するというのは大変苦手である人々が多いのは確かです。これは仕事ではありませんので、平行して自分の仕事は仕事で続けながらの活動ですので、それは物理的にも精神的にも大きな比重をかけることは間違いがありません。常に刷新刷新の生活ですので、ぼんやり一人で自宅で時間を過ごしたい人にとっては拷問とも言える活動と言えます。

私も人生をかけてかけて走り続けています。多くの間違いをしながらも、自分の決断により進み、躓きながらも、人生は全てどうにかなるものであります。そこには決して後悔という言葉は存在しない。つまり考えて悩んで結局は何もしない人生は刷新もなく、後悔の念で終わっていく実に物足りない人生だと私は考えています。

そんな中で出会ったダマヌールの活動は実に興味深い、ただでさえ忙しい生活に拍車をかける選択ではありましたが、定年という言葉は私には存在しない人生の出会いでした。サラリーマン人生をずっと送ってきた人には理解不可能な世界かもしれませんが、時間を費やすことでサラリーを稼ぐ人生を選ばなかった私にとっては相通じるものが多いことは間違いありません。

駒ケ根再訪

三和 導代 です。

夏休みも後半となりました。前半はこれまでの押せ押せの仕事でてんてこ舞い、報告書提出に2日間貫徹、久々に学生時代を思い出しました。いつもいつも締め切り前にダッシュし結果オーライとする人生は未だの変わりません。でも結局は人生何とかなるものです。

信州の南の玄関口である南アルプスと中央アルプスに囲まれた長野県駒ケ根市に先々週末滞在していました。昨年の同時期も滞在していました。両側のアルプスの間には天竜川が流れ、山あり川ありの自然豊かな場所です。ここは東京から行きますと電車ではアクセスは良くありませんので、新宿からは高速バスが便利です。駅前は何となくさびれた町の雰囲気ではありますが、アルプスに囲まれた静かな街です。

ここはJR東海の管轄で、SUICAやパスモなどのカードが使用できずに車内には車掌が回っており、現金で切符を購入するというレトロな電車です。

中央構造線の谷がが南北に走る長野県伊那地方です。そのようなことから駒ヶ根のと隣町にある伊那市創造館では伊那谷の大地の不思議を知ることができる地質展示室を常設されています。伊那市では日本にある岩石の大半を見ることができます。また、恐竜時代に生きた1億2000万年前のアンモナイト・サンカクガイの化石や2200万年前の巨大なカキの化石も採集できます。日本の古い地質学上の歴史を学べる場所。昨年に引き続き、見学に行きました。

また私の大好きな土偶として御殿場遺跡から出土した

縄文時代中期後葉

の国重要文化財指定の顔面付釣手形土器がお勧めです。この土器は、ひもを通してつるす部分が付けられた鉢形の土器です。人面の装飾がほどこされ、両側には5本の指のようなものが表現されていて、大きな手が土器を抱えているようにも見えます。釣り型土器は一つの集落遺跡の中から、まれにしか出土しない土器で、祭祀などで使われていたそうです。

私は海はちょっと苦手ですが、山と川の景色は大好きです。また来年も行きたい場所の一つです。

三和 導代 です。

8月に入りました。私のお誕生月です。暑い国が好きなのは夏生まれだからかもしれませんね。新型コロナウイルス感染などに負けずにこの夏を楽しく乗り切りましょう。

第3回『人類の覚醒は古へ回帰する』

◯日時◯ 2022/8/11(祝)

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◯受付◯ 13:30

◉8/11◉ 講演 13:45~18:00

 (内訳)三和導代 13:45~15:45

     大友智達 16:00~18:00

夜会 18:30~21:00

◯場所◯ 北浦和ターミナルビル 3階カルタスホール会場室  (第3、4会議室)                               ttps://www.kitaurawa-terminal-bldg.com/

 住所: 〒330-0074   さいたま市浦和区北浦和1-7-1

 電話: 048-814-2501

 最寄り駅:JR京浜東北線:北浦和駅東口 徒歩3分

◯定員◯ 30名(コロナの状況により変動)

〇参加費〇

4,000円、夜会:1,000円、ヴィーガン弁当:1,500円

※ お支払いは、当日徴収致します。スムーズな進行ができるよう、釣銭のないようにご準備下さい。

〇申込み先〇

  三和導代 nobuyo@s6.dion.ne.jp

    夜会の参加の有無、ヴィーガン弁当の有無もお知らせください。

話し手①:三和導代

13:45~15:45(2時間講演)

 歴史は繰り返される。しかし未来は決まっていない。歴史を学ぶことにより、未来をより明るい世界に導くことも可能。

 超古代の日本の歴史も度重なる転変地異や宇宙の星々との攻防により、地球上の文明が大きく変化し、過去の素晴らしき時代が存在していたことをもう一度思い出すことが大切です。人類には秘められた能力があることが、残念ながら忘れ去られています。

 偽書といわれる竹内文書の中には、過去の知らせざる人類が現代よりも文明が発展していた時代の記録があります。日本で報道されている現在の情報があまりにも私たちを洗脳する嘘が多いことか。

 2年ぶりに海外渡航を今年2月より再開しました。私の人生は旅人生です。百聞は一見に如かず 今年3回の海外渡航、数々の縄文の地の国内調査を通して、再度、真実を問い直してみたいと思います。

          

話し手②:大友智達

16:00~18:00(2時間講演)

 6月の全惑星直列と言う天体イベント(占星術では重大)が過ぎ、2ヶ月。8月11日の当日はどうなっているのでしょう。世界の立て替え立て直しが始まるのが3年後であるならば、闇社会が霧消していく様の前半戦が見ているはずです。

 3月末から6月にかけて、大きな節目が3回もありました。そして8月を含め残り5か月も、相当なことが変わるでしょう。

 変わるとは、変われる人、変われない人も巻き込みながら、強制的に変わっていくものです。変わらないことが正しいのか、変わることが正しいのか、あなたの本能、靈魂、良心はどうなのか?

 以上、時期に見合った、視点を変えた真実のお話をしていきたいと思います。

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是非、ご参加ください

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話し手①

三和導代  MICHIYO MIWA

学生時代に竹内文書研究家であった高坂和導の講演会に参加したことがきっかけで結婚。

高校教諭として5年間勤務後、旅行業界に転職。150カ国近い海外渡航歴あり。

その間、海外青年協力隊でカーナに2年、NGO活動で東京とマリ共和国に4年間往復を重ねながら、ボランティア活動も従事。

帰国後は海外の秘境旅行専門の旅行企画・販売・添乗業務に復帰し、アフリカ中心に世界各国約150カ国へのツアーに飛び回る日々。

一方、2002年、夫の高坂和導が他界してから、彼の遺した竹内文書の英語、イタリア語、スペイン語、フランス語の翻訳を完成。自らのガン闘病後の2011年より、竹内文書の普及、縄文時代への回帰をライフワークとし、講演、執筆、映像制作など多岐に渡る活動の日々。

ウェブサイト◆http://www.takenouchi-documents.com/

https://www.miwaworld.com/

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話し手②

大友智達(おおとも ともみち)

1964年4月20日生 宮城県生まれ、埼玉県育ち、埼玉県在住

金融業界で霞が関やその外郭公的団体を顧客として人脈・ノウハウを積み、その時の体験が判断材料となり、時事情報の分析をし情報発信をしているブロガー。

言靈の話、カメラの話、内容幅広く講演会も行っています。

略歴 明治大学政治経済学部卒業(1988)、第一勧業銀行(現みずほ銀行)、第一勧業証券(現みずほ証券)、モルガンスタンレー証券(現三菱UFJモルガンスタンレー証券)、流通業、家電量販店販売などを経験。

ウェブサイト◆https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz

第15回竹内文書に登場する天空浮船による地球巡幸の足跡を

辿る150カ国フィールドワークの旅中央アジア編(キルギス、カザフスタン等)

日本には世界史の謎を解き明かす人類最古の文献資料が存在しています。竹内文書です。それを実証するために30年以上約150カ国の世界中を駆け回った体験を通しての竹内文書の世界をトークと映像でご案内いたします。今回は中央アジア編、日本人とそっくりなお顔、共通の伝統文化には目を見なるものがあります。ルーツは一体どこなのでしょうか?

竹内文書:古事記より200年以上前に編纂された神武天皇以前の宇宙創成の超古代からの人類の歴史書。アカデミックな世界では偽書と言われていますが、宇宙、地球創世の時代から人類が異星からの人々によって創造された時代からの軌跡が記録されています。人類の先祖は宇宙からやって来ました。現在より文明が発達していた超古代では日本から世界中に天空浮船で言語を初めとして文化等が伝えられた時代がありました。

講師:三和 導代 http://takenouchi-documents.com/

https://www.miwaworld.com/

日時:2022年8月30日(火) 13時半〜15時半  終了後歓談   

場所: 瑠璃光殿  東京都新宿区白銀町2-11

参加費 ¥3,690      

場所: 白銀公園正門の真前  地下鉄東西線神楽坂駅より徒歩3分 JR飯田橋駅より徒歩10分

申込み: 秋葉由美 09046650088 rurikouden@gmail.com  または 三和導代 nobuyo@s6.dion.ne.jp

三和導代です。新しくHPを開設いたしました。

これまでは英文をベースにした竹内文書のHPにイベント案内、そしてアメブロを掲載していましたが、セミナーにご参加いただいた方々からのご要望により日本語のHPを新設する運びとなりました。これまでの旅先で撮影した写真は数限りないものがありますが、そこから整理をしながら改定を行っていきたいと思います。

私の人生は旅そのものです。「動いていないと死んでしまうマグロ」みたいと人から言われたことがありますが、その傾向はあるようです。いつも先の楽しいことを思い描くのが昔から大好きでした。夢見る夢子ちゃんということかもしれません。

小学校高学年から中学生時代に見ていた日曜の朝の「兼高かおる 世界の旅」に刺激されてからずっと外の世界を見たい、体験したいという気持つが根付いたようです。そしてさらに現在は地球では飽き足らず、宇宙にまで、それは宇宙に行きたいということではなく、地球や他の星々の世界がいったいどのような摂理で動いているのかということです。

そのツールとして歴史を探求しながらの旅なのです。地球には古代から各地で神話や逸話が残っています。これらはすべてが真実ではありませんが、真実を知る上での鍵となるツールです。また世界中に残されたオーパーツも、地球上の常識を覆す証明となる遺物で、大変興味深いものがあります。

旅は新しい世界での体験によりさらに頭脳を刺激し記憶することにより肉体の活性化にも良き効果があります。いつも背中にリュックを背負い、肩に鞄をかけて身軽に動ける体制で、いつまでもずっと続けていきたいと思っています。以下が新しいHPです。どうぞご覧ください。

MIWA WORLD

https://www.miwaworld.com/

三和 導代 です。

イタリアから帰国して1週間となります。様々なことが出来事が起こりました。そう旅ならでのハプニングはいろいろです。非日常的な出来事によって、人間の意識は活性化されます。だから旅は止められない。

イタリアのピエモンテ州のトリノの郊外にあるダマヌールの神殿につながるアバトンに3泊宿泊していました。3日目は午前中にダマヌールのセルフを使ったヒーリング、午後は人類の神殿にて瞑想というプログラムでした。午前中と午後の合間に外の町にでて食事をしてみようと、近場にドライブ。近くの以前2度食事に行った場所はランチは休業、あてもなく走り、やっと見つけた角地にある可愛らしいレストラン。

中に入りますと結構広い素敵なレストランでした。私たちが日本人と解ったか、イタリア語が分からない私たちを迎えてくれたオーナーは変な英語で自分の娘は日本人で。。。。と話し始めました。最初は娘が日本人だなんておかしいと思って適当に聞いていましたが、とても親切は恰幅の良いオーナーです。

すると外で大きな事故が起きたような音。私たちの駐車した車に何か異変がと思いきや、バイクの転倒事故だったようです。皆で興味津々で外に。バイクは破損していましたが、若者に大きなけがはないということです。

メニューからお料理を選びました。私たちは3コースは食べられませんので、メインを除いた2つ、つまり前菜とパスタです。とてもおいしくいただきました。その間もオーナーや奥様がいらして、イタリア語のわからい私たちとコミュニケーション。わかったことはこの夫妻の息子が日本人と結婚し、ホノルルで息子は日本の鉄板焼きのレストランのマネージャーをしているとういことでした。こんな田舎で不思議なご縁です。日本人ということでとても親切にしていただきました。

さて食事が終わりダマヌールに戻ろうと車に乗ったところ、何とエンスト。エンスト?車があまりにも暑かったのでエンジンをかけてクーラーをつけていたのです。レンタカーですので、もちろん日本製ではありません。FIAT イタリア製、そしてアメリカに吸収された会社の車です。つまり日本車ではありませんので、暑いのでエンジンをかけたままの車は1時間後にはエンストをしたのです。

私は40年のペーパードライバーですので事情が分かりませんが、とにかく援護が必要なことはわかりました。エンスト、かつ日本でよく聞いたことはですが。隣のガソリンスタンドは昼休み(イタリアでは13時から15時まではオイル休み)で誰もいません。そこで1時間前にバイク事故が起きてゆっくりやってきたポリスカーと後処理で道を掃除していたお兄ちゃんがいることに私は気がつきました。

太っちょお兄ちゃんに声をかけるとそこにポリスがいるからと言われ、ポリスカーへ。いかにも新米の若い男女のポリスがいました。エンストしたので助けてほしいと言ったところ、ポリスカーには何も載せていないので、サービスセンターに連絡をしてきてもらうという。でもお金がかかるからと。それは構わない。どこに連絡すれはいいの?変なイタリア語と英語でイライラしながら交渉。ああ、15時からの神殿訪問に間に合わない。

すると先ほどのレストランから一人の女性がでてきて、私がポリスと交渉をしている間に隣のガソリンスタンドに出向き、ここで働いている家に直接交渉してくれていたようです。この女性は私他のにお料理をつくってくれた女性です。私がポリスのゆっくり対応にイライラしていると、その女性が大きな声で事故処理の掃除をしていた太っちょお兄ちゃんと若いポリスに対して大きな声で怒鳴って指示しているのです。その迫力は言葉には表せないほどでした。

私たちはイタリア語はわかりませんが彼女は何をやっているの。困っている人がいるのに何で動かないの、それはそれはすごい剣幕でした。太っちょ兄さんと若いポリスは驚き、太っちょ兄さんはそれまでポリスに任せきりでしたが、すぐに私たちの車の所にヘルプに来てくれました。同時にガソリンスタンで働いている人と連絡をとってくれすぐに駆け付けてくれたのです。

それはそれはすごいレストランの女性ママの迫力でした。このイタリアのママのお陰で、私たちのエンストした車は蘇り、15時の神殿訪問にも間に合いました。山道ですのでしたのでエンストを起こした後なのでこの道を通ってお帰りなさい、でももしなんかあったら電話を頂戴。心配ないからね、とこの肝っ玉ママ。すごいイタリアのママは。だからイタリア人の息子はママを一番大切にそして尊敬していると聞いていましたが、このことだった。

私たちは日本でかつてエンストをしていた時代はありましたが、そのことをすっかり忘れてイタリアでの本の常識で車にエンジンをかけたまま駐車、そしてエンスト。そして強烈なイタリア人女性の迫力に怒鳴られた若者によって動かさえてた人々によって助けられました。感謝感謝のエピソードです。次回ダマヌール訪問時には必ず時間をとってランチに行きたいと思っています。

言葉が理解できなくても心は通じるのですね。素晴らしい体験をさせていただきました。ありがとうございます。

三和 導代 です。

7月も残りわずかとなりました。私の意識もあちらこちら飛んでいます。7月のイベントの案内を忘れていました。イタリアでの滞在のレポートはサルディニア島とダマヌールです。竹内文書の世界は日本だけでなく世界中です。トリノのエジプト博物館も再訪。2度も行ってしまいました。ラムセル2世像、そして王妃?16条菊型御紋、つまり太陽神のシンボルが胸にはっきり刻まれていました。

「百聞は一見にしかず」  イタリアのママは強し、尊敬に値します。

第14回竹内文書に登場する天空浮船による地球巡幸の足跡を

辿る150カ国フィールドワークの旅 イタリア偏(サルディニア島,トリノ、ダマヌール)

日本には世界史の謎を解き明かす人類最古の文献資料が存在しています。竹内文書です。それを実証するために30年以上約150カ国の世界中を駆け回った体験を通しての竹内文書の世界をトークと映像でご案内いたします。7月の訪問地であるマジックな都市トリノ、ダマヌール、そして先史時代の遺跡が残るサルディニア島がホットな情報をお届けいたします。

竹内文書:古事記より200年以上前に編纂された神武天皇以前の宇宙創成の超古代からの人類の歴史書。アカデミックな世界では偽書と言われていますが、宇宙、地球創世の時代から人類が異星からの人々によって創造された時代からの軌跡が記録されています。人類の先祖は宇宙からやって来ました。現在より文明が発達していた超古代では日本から世界中に天空浮船で言語を初めとして文化等が伝えられた時代がありました。

講師:三和 導代 http://takenouchi-documents.com/

日時:2022年7月26日(火) 13時半〜15時半  終了後歓談   

場所: 瑠璃光殿  東京都新宿区白銀町2-11

参加費 ¥3,690      

場所: 白銀公園正門の真前  地下鉄東西線神楽坂駅より徒歩3分 JR飯田橋駅より徒歩10分

申込み: 秋葉由美 09046650088 rurikouden@gmail.com  または 三和導代 nobuyo@s6.dion.ne.jp

三和 導代 です。

トリノからAFにて再びパリへ。トリノとパリ間の航空機はいつも2席2席の小さな航空機です。昨日空港で検査したPCRの陰性証明とMy SOSを提示し、チェックインし、再びパリ・シャルルドゴール航空。大きな空港ですので、2度のバスの乗り継ぎでやっと成田行きの搭乗口へ。

ターミナル内はマスクなしの乗客が沢山、搭乗を待っています。日本では飛行機に乗る際は絶対にマスク着用ですが、フランスでは自由です。日本人客はまだ少なく、ほとんど真面目にマスクを着用しています。フランス人あるいはEUの人々は反対にマスク着用の人は少ない。クルーも同様です。日本人クルーは100%着用、フランス人クルーはバラバラです。

今日は全てのクラスでオーバーブック、満々席席です。まだ週5便で、羽田便がありませんので、込み合います。まだ日本への個人客の渡航者は受け入れが始まっていませんが、トランジットでヌーカレドニアのヌーメア、バンコク便に乗り継ぐ人々で混雑しています。パリのシャルルドゴールの搭乗口のAFの日本人クルーには前回もPCR検査の陰性証明の件では色々お世話になりましたので、私の顔を見るなり、少しびっくり顔で、今日は大丈夫ですか? と。

今日は大丈夫ですか?という意味は日本政府が要求するフォームの陰性証明をお持ちでしょうか?ということなのです。つまり前回はこの証明書が日本政府の要求するフォームではなかったのでももめたのです。でも今回はパリはトランジットでトリノからですので搭乗前に陰性証明の提示は不要です。が、よほど前回のことが印象に残っているのでしょう。今回はトリノできちんとしたフォームの陰性証明をもらってきましたので・・・・

つまりEU内と日本で通用する陰性証明はなぜか異なるのです。本当に厄介です。毎回条件やシステムも変化しますので、チェックチェックの連続です。まあ満席の中、無事に昨日帰国できました。

今回は予定通り7月26日(火)にはイタリアのサルディニア島とダマヌールにてセミナーを開催できます。

三和 導代 です。

ダマヌールの人類の神殿につながる唯一のホテルであるAbatonに3泊しました。5部屋のみですが、それぞれの神殿の部屋のエネルギーと直結しています。4年前の滞在では民族の部屋でしたが、今回は鏡の部屋でした。この時期は神殿の鏡の間が修復中で訪問はできませんでしたが、Abaton でも滞在の部屋にいながら神殿の鏡の間のエネルギーをもらえたことは大変ラッキーでした。

ここに滞在中に最初に1泊同じAbaton宿泊していた女性はとても美しい上品んなご婦人でした。いろいろお話しをしてると私が今回訪れたサルディニア島で、特別な観光をアレンジしている会社の女性でした。サルディニアにはたくさんの古代歴史の遺跡やエネルギーの高い場所があるそうです。私も今回訪れたばかりですので、シンクロな出会いに大変、お話しが盛り上がりました。今度はお客様をお連れしてサルディニアで再会することを約束しました。

そして最終日に宿泊に来た男性2人も如何に別エネルギーの他の星からの訪問者のようなオーラのある人でした。翌朝、朝食時に同席、また会話に花が咲いてしまいました。おひとりはオランダ在住のヒーラーで3000人の人びとを集める男性、もう一人はフランス在住で南フランスで20人ほど宿泊することができる自然豊かな地でセミナーを開催している男性でした。

お二人の風格や目の輝きは明らかに一般人とは異なる美しいお二人でした。その日は二人は何とヘルツゥゴビナから5時間のドライブでダマヌールに到着したそうです。このヘルツゥゴビナにはたくさんのピラミッドがあるところだそうです。お二人と」Abaton と貴重な情報交換をすることができました。やはりダマヌールに世界のヒーラーはこのAbatonに宿泊します。素晴らしい夢をたくさん見て、それが現実化するのです。私と同行した二人のお客様もここのエネルギーは別格で滞在中、とても快適で別次元だと。

そして今日はトリノに戻りました。そしてエジプトの次にエジプトの発掘物を収納するトリノのエジプトは博物館を訪問しました。入場券を各自購入しましたが、その入場券の写真はそれぞれ異なります。何とその図柄は私たち3人が宿泊したAbatonのモチーフと同じものがそれぞれのチケットとして手渡されました。何というシンクロでしょうか。偶然という言葉は存在しません。またまた3人で話題にことかかないエピソードの一つとなりました。

トリノは有史以前のローマ時代後はレプタリアンが支配するす社会。古い町の中や歴史的な建造物、そして王宮にもその痕跡を残す彫像があちらこちらの見ることができました。俗っぽいですが、アイスクリームもとてもおいしい町です。そしてバーゲンセールが始まりましたので、カラフルなかわいらしい洋服が半額で購入できる最高の時期、女性にはこたえられない旧市街の散策となりました。

三和 導代です。

3泊4日の予定で、ダマヌールの人類の神殿につながるAbatonに滞在しています。本日は最終日です。イタリアのコロナ禍の時期は大変な規制をがありました。3年ぶりにダマヌールに戻りました。もちろん no マスクです。

人類の神殿も訪れることができます。ここは1978年8月から17年間秘密裡にダマヌールの創始者であるオベルト・アイラウディと12人により24時間体制で建設が始まり、そしてその後も現在でも掘り続けられている人類の財産です。

創始者であるオベルト・アイラウディとダマヌリアンは、ビダラッコの丘の近くの或る家の後ろで火を囲んですわっていた。夜空に、見たこともないような大きく輝く星が、ゆっくりと流れた。くっきりと金色の尾を引いて、地球に向かって落ちてきました。私は当時その場にいたファルコの側近であるフェニーチェさんからその経緯を聞いています。

今回の宿泊はこの人類の神殿とつながる唯一のホテルAbatonです。5部屋しかありませんが、それぞれが神殿の部屋とと名がっています。私の今回の滞在は現在修復中である鏡の部屋です。前回は民族の部屋でした。

毎月行われる満月の夜に開催されるオラクルの儀式に参加しました。これも一般の方も参加はできます。ダミールのオープン神殿(すべての人々に開かれた神殿)にて今回は21時15分からスタート。満月が上がる月明りの下での儀式です。儀式を司る人々、聖なる言語を表現するダンサー、太鼓などの奏者、お香を献奉の神殿中央の火を中心に儀式が執り行われました。

火は記憶をとどめることのできるものです。日本の縄文の家屋跡を見ましても、家屋の中心に火がたかれています。例外はありません。古代よりこの火によってすべてのノウハウや記憶がとどめられてきました。

このダマヌールのコミュニティでも自給率は70%だそうです。動物を含めすべて愛情をこめて丹念に作り上げた食づくりです。安心して食することができる食材ばかりを販売しているスーパーマーケット、カフェテリアなどもあります。自炊でも素材が良いのでとても最高の贅沢なお食事をいただけます。

さまざまなダマヌールのマジックなセラピーも体験することができます。今日は最終日です。神殿への3回目の訪問、各部屋で沈黙のメディテーションを再体験後、トリノに向かう予定です。

そう、昨日はダマヌールから約1時間の場所ランツォにある悪魔の橋まで足を延ばしました。ここもシンクロニックラインが交差する地点。かつてファルコが画家を連れて肉体のまま時空の扉を通過しアトランティスへ旅立った場所です。地元でも悪魔の橋として伝説が残っているところです。公園内は現在はロッククライミングや美しい川で日光浴や泳ぎを楽しむ若者や家族ずれには人気の場所となっています。

三和 導代 です。

トリノに再びサルディニア島から国内線で到着しました。長年国視線として日本に乗り入れしていたアリタリア航空の国際線が廃止され、ここトリノまでのフライトも他社の国の航空会社なしでは到達することはできません。日本からですと、エールフランス、ルフトハンザ、KLMオランダです。いずれもゲートウエイである空港からトリノまでは小さな機種で乗り入れしています。常に満席状態ですので早期予約がないと難しい状況です。

さて今日はサルディニア島から2本のアリタリア航空の国内線でローマ経由にて乗り継ぎ、トリノに向かいました。国際線の」運行はやめながらも国際線は運行しています。しかし遅延はやはり以前からの通常の出来事、今日も予定通り?2本ともしっかり遅れてくれました。遅れるのはイタリアの文化ですので、致し方ないでしょう。

そして遅れてトリノ空港に到着。何といつも空港出口には白いタクシーがずっと並んでいます。しかし今日は1台もない。町へのバスにはあふれかえる人々の長蛇の列。何と2時間前からタクシーはすべてストライキ。空港の駐車場にはい白いタクシー、そしてドライバーがたむろしています。しかしどんなに交渉しても動いてくれません。

ホテル専用のタクシードライバーにやっと電話が通じても、もう既に深夜で寝ている。ホテルに電話してもレセプションのにはたったの一人体制でホテルを出ることはできない。どうにもならない。

結局ホテルまでは徒歩で。タクシードライバーには危険だからやめた方がよいと数人にアドバイスを受けますが、それだからと言ってタクシーを出してくれるわけではないのです。協定が結ばれていますので1台だけ出すことはできないのです。ホテルまでの道順を聞き出し、空港のカートにスーツケースを乗せて、いざ出発。満月に限りなく近づいた空を眺めながら、車道を通りながらホテルへ。空港から一番近い4つ星ホテル、しかし閑散としたトリノ空港。都会の空港とは別世界です。直線距離で1キロほどですが、道はありません。車でも遠回りをしないと到着できないポツンと立っているホテルです。

ホテルに到着。私たちの空港のカートに荷物を運んだ姿を見てびっくり。たった一人の若い男性のレセプションでした。これでは空港へのお迎えの車は出せませんね。突然のタクシーのストライキ、大ありです。しかし日本では体験することのできない貴重な月空の中の空港からホテルまで、カートを引きながらの旅となりました。

すべてOKで受け入れることにより、新たに道が開けてくるのです。楽しい旅の始まりです。

三和 導代 です。

サルディニア島の先住民のヌラーゲ文化です。日本人には全く聞いたこともない名前かと思います。今回訪れたスゥ・ヌクラシ遺跡は紀元前14世紀後半からのヌアーゲ文化に遡る人々の遺跡です。日本でいえば早期縄文時代にあたる時期です。

これは宗教的な石造りの建物と考えられています。近くの火山岩で覆われた山から運ばれた巨石によって建設された建造物です。サルディニア島は火山の爆発によりできた溶岩飯石の丘がたくさんあります。大西洋に浮かぶ島ですので、当然幾度もの火山爆発はありました。

石造建築の宗教施設は先月も訪れました日本の大湯ストーンサークルと同様です。近くの山から川によって流された石をふんだんに利用してつくったのが大湯ストーンサークルです。このスゥ・ヌクラシ遺跡からすぐ近くに見える丘から運ばれたという点では日本と同様です。巨石一つ一つが溶岩石であることがわかります。

この近辺ではヌラーゲ、つまり石作りの建造物を建設することが現在でも続いているのです。その典型的な例とした私が前日に訪れたスゥイーリの町です。宗教的な建物の中での柱の頭の部分は後の時代に破壊されていますが、そのオリジナルと考えられる石はレプリカでありながらもそれぞれの家の住宅のヌラーゲの中に今でも取り込んでいるのです。

スゥ・ヌクラシ遺跡の中心では祭祀が行われていました。どんな宗教であったのでしょうか。遺跡内の中央部には井戸が中央にあります。水の神を祀っていたと言われています。また4つの塔に守られ、その周辺にある7つの塔の中に囲まれています。この外部にも人々が祭祀を司った小さな聖なる場があります。

どのような祭祀が行われていたのでしょうか。遺跡観光はすべてガイドツアーですので、自由に回ることはできません。また案内にもありませんでしたが、ここではインカや場や文明と同様に神への人間が捧げられていました。神への最大の忠実心の証拠として生きた人間の内臓を捧げていました。

このことは私も知りませんでしたが、最初の日にカリアリで知り合ったイギリス出身の御主人が本で読んだことがあると聞いていました。そしてこの映像はこのスゥ・ヌクラシ遺跡から少し離れた発掘者であるジョヴァンニ・リリウの名をとった文化センターでも流れていました。ここもガイドツアーですので、自由に長時間この映像を見ることができませんでしたが、確かに生きた人間が神に捧げられていました。超古代の外国でも神と人間との間の契約として登場します。

発掘者であるジョヴァンニ・リリウはピザ大学で考古学を学んだサルディニア出身の小柄な考古学者でした。1957年に発掘それまでは地下に埋もれていた遺跡ですので、とても保存状態が素晴らしい遺跡です。ユネスコの世界遺産ともなっています。しかしアクセルはよくありませんので、イタリアの数多くの世界遺産に比較しましたら、訪問する人の数は圧倒的に少ないかとは思います。なぜか心惹かれてここに2泊することになり、サルディニア島での田舎生活を体験することとなりました。

三和 導代 です。

サルディニア島の一番の南部にあるカリアルからバスで北上、約1時間半で目的地のバスミニへ。カルアリを出ると、麦畑の収穫後に刈り取られた牧草のサイロの数々、オリーブの木、背後には乾燥した丘があちらこちらに見えます。緑豊かな地には灌漑用の給水ポンプが回っています。野菜をつくっているのでしょう。ここは一年中暖かく、特に夏は雨がほとんど降りませんので、野菜つくりには給水が必要です。

1本道の高速道路をひたすら走りますが、光景はほとんど変わりません。高速道路を降りて小さな村を通りますが全く人通りもなくお店らしきものも全くありません。どこでもコンビニの日本の風景とは全く異なります。バスミニもそんな町の一つです。スゥ・ヌラクシのヌラーゲへはバス停から徒歩で15分の場所にあります。

ここは世界遺産となっておりますが、1950年代までは地下に埋もれていた遺跡ですので、とても保存状態は良好です。1泊から2泊となったため、この遺跡の近くに宿をとっていましたので、遺跡観光は翌日へ、ホテルに直行です。かわいらしいホテル・レストランです。一軒宿で乾燥地帯の中にも花と芝生を植えたオアシスのような場所です。お部屋も広く、中には南国を思い起こす木々のカラフルな花に囲まれています。

この時期は10時近くまでは明るいため、レストランは8時過ぎ位からオープンします。オーナと思われるよく肥えた女性はイタリア語しか通じませんが、おそらく娘と思われる女性も滞在しています。今日は土曜日でこれからミサに行くとのこと。月曜日のバスの時間を丹念に調べてくれました。

そして夕食前にもし歩くのが苦でなければ片道2キロくらい先の町トゥイーリに行くことを勧めてくれました。とてもかわいらしい石造りの町で都会生活の私には田舎生活を見るのも楽しいですよと。結局2時間半コースの散策となりました。本当によく歩いた一日でした。

ひっそり静まりかえった町ですが、一軒一軒がおそらく周辺で採掘されたと思われる石造りの家々が個性的に並んでいます。新しく建て替えられた家にも必ず古い石が使われています。代々この地域ではヌラーゲ文化が根強く残っているのでしょう。石の積み方や選びからはそれぞれの家庭のこだわりがあるようです。現代版の巨石生活です。

町の中に既に廃業したスーパーマーケットの他、お店らしきものが見当たりません。しかしよくよく見ますと表向きは何も看板は出ていませんが、軒先にはすだれのような長いものが何本も垂れ下がった家があります。中をのぞいてみますと日常生活用品を扱うお店です。町の中を散策しながら2軒ほど見つけました。静まり返った町のようには見えましたが、やはり人々は生活を営んでいるのです。

土曜日の日没前の教会のミサには町の中の比較的年配の人びとが多く集まっています。神父さんのお説教に耳を傾けています。現代社会ではすっかり根付いたキリスト教のようには見えますが、昨今のバチカンの様子を見ていますと、長きカトリック教の歴史が閉じようとしているのは間違いなさそうです。

飲み物を補給した後、ホテルに戻るために1歩道を歩いていますと、後ろから1台の車が止まって入れました。とぼとぼ一人で歩いている私の姿を見て気の毒に思ったのでしょう。行先を尋ねられ、車に乗せてくれました。下車後、車をよくよく見ますと、大きくYAMAHAと書かれています。私が日本人であることを知って乗せてくれたわけではないと思いますが、親切な人に迎えられた一日でした。

そしてホテルの最大の目的であった遺跡スゥ・ヌラクシを眺めながらのサルディニア料理と赤ワインのお食事で堪能した一日の終わりでした。日曜日に公共のバスが運行していないためにもう1泊できてこそのエキストラな時間。旅は未定だからこそ楽しいのです。

三和 導代 です。

サルディニア島南部の最大の都市カリアリは大西洋に面した港から旧市街へはなだらかな傾斜した細い道が続きます。両側には昔ながらの風情あるカラフルな住宅が続きます。上りですが、丘の上にあります国立考古学博物館までは左右よそ見をしなければ30分あれば十分到着しますが、左右よそ見をしながら教会などに入りながら焼く時間で到着です。ペーパードライバーの私は歩くことには慣れていますので、全く苦痛はありません。車のない生活も決して悪くありません。

バスは道が細すぎて通れませんので歩くしかないですね。もちろんタクシーは別ルートで遠回りをすれば行けますが、これでは途中の遺跡や教会、そして庶民の生活ぶりは見られません。

このカリアリの町の最大の目的は今回の主たる目的であるサルディニア島の先住民族であるヌアーゲからの発掘品が展示されている国立考古学博物館です。噂通り、縄文土器を思い起こさせる新石器時代の土器や土偶、そして青銅器時代の数々のブロンズz像、紀元前9世紀のフェニキア文字が書かれて島の名前など興味深い展示物がたくさん飾られています。ここも2時間はじっくり見たい場所でした。午後からの今回の最大の目的地である先住民族の巨石文化が残るバルミニのスゥ・ヌラクシへの1日1本のバスに乗り遅れないように帰り道はよそ見せずに20分で戻ることができました。

カリアリは週末ということもあり、どこのレストランでもビールやワインを飲みながらの観光客でどこのオープンスペイスもい一杯。私は目的が違うのでここに時間を割くわけは行きませんので、荷物をホテルで受取り直行でバス乗り場へ。

数ある教会の中で私が日本人と知って教会に座っていたご婦人が念入りに案内をしていただきたのがサン・ミッシェル教会。ここの至聖所に飾れるイタリア人画家の3枚の作品のモデルとなっているのが16世紀の長崎、五島列島の日本人の殉教者です。まさかこんなに日本から遠いサルディニアで五島列島の文字を目にするとは想像もしていませんでした。ここは国立考古学博物館に行く途中に立ち寄った教会です。もしカリアリに行くチャンスがありましたら、立ち寄ってください。

午後2時のバスでバルミニへ。しかしバルミニに宿泊予定。しかし次の日は日曜日、何と毎日1往復のバスも日曜日はお休みとか。急遽、2泊に変更せざる得ない状況に。まあ、これも意味があることなのでしょう。

三和 導代 です。

今回トリノでの4日間の滞在中で選んだ場所はサルディニア島でした。理由は?地図を見たときに島がある、そしてその島を調べると何と世界遺産でもある先史時代を知ることのできるヌラーゲ・スゥ・ヌラクシがあることを知ったのです。そしてトリノからもアクセルがとても良い。船も出ていますが時間節約にはやはり飛行機。トリノからは1時間半で、しかも1日に何本かの

飛行機が飛んでいることを出発の1週間前に知り、すぐにチケットを購入。預ける荷物もないので、往復で200ユーロでおつりがくる値段でした。

当日の夜のフライトは金曜日ということもあり満席。1席の空席もありません。イタリア人にとってはサルディニア島はとても人気のあるリゾート地のようです。特に若い人に人気のようです。南の玄関口であるカリアル空港からは電車で1つ目で中央にある駅に到着です。遅くの到着に備えて予約していた駅から近い便利なホテル・ローマへ。

何とこの界隈は11時過ぎだというのに外に並べられたテーブルのレストランで食事をする人々で大変な賑わいでした。みんなワインを飲みながら食事をしています。2年以上も耐えてきたコロナ禍の強いられた生活を振り切るかのように。日本以上に世界中でも大変な規制を強いられたのがイタリアでした。外にでることも、買い物にでることも。禁欲の生活であったことでしょう。

そんなイタリアが一機に政府が今年6月1日より外国からの人びとを一斉に何の制限もなく受けいれる体制を表明しました。正直なとこと、本当に驚きました。一番ヨーロッパの中でもイタリアはコロナ禍が一斉に広まり、大きな規制が惹かれました。そんなイタリアが、外国からもワクチン証明もPCR検査陰性証明もなくの受け入れを始めたからです。フランスでさえ、まだワクチン証明かPCR検査の陰性証明を要求しているにも関わらずです。

エールフランス航空は目的地の基準に合わせてパリのトランジットでも基準も決めていますで、今回はPCR検査の陰性証明も必要もなくイタリアに来ることができました。そしてマスク率ですが、フランスはほとんどといってよいくらいの人びとがマスクをしていませんでしたが、イタリアではフランスほどでは、しかし日本ほどでもなくというのが私の印象です。つまりイタリアのマスク着用率はフランスと日本の間ということです。公共の交通機関ではマスク着用を呼び掛けています。またイタリアは長期に渡りかなり厳しくマスク着用を義務付けられていましたので、なかなか撤退できない、つまり習慣化してしまった人々が多いのかもしれません。日本も同様ですが。

しかりカリアリの深夜の賑わいにはマスクは不要です。到着したホテルもレセプションの男性もとても親切でした。マスクはしていません。もちろん私もですが。サルディニア島に到着し、初めての宿泊です。翌日は目的のヌラーゲ・スゥ・ヌラクシのあるバルミニへ。