セネガルの私の娘と出会って

三和 導代 です。

パリのランドマークであるエッフェル塔、エッフェル氏は万国博覧会での有名な設計者です。パリだけでなく、セネガルのサン=ルイ島にかかる橋の設計もエッフェル氏のものでした。セネガルにて強く認識したことを覚えています。今日はエッフェル氏が設計したエッフェル塔を、万国博来会の時に建設されたシャイヨ宮から雄大なエッフェル島とセーヌ川をベストポジションで見学をしました。

セネガルの北部に位置する世界遺産サン=ルイ島は、ヨーロッパが建設した西アフリカ最古の植民都市です。17世紀にフランスの植民都市として誕生し、奴隷貿易の拠点として栄えたこの街は、フランス領西アフリカの首都という輝かしい歴史を経て、異国情緒漂う観光都市となりました。フランス統治時代の雰囲気を残しつつもイスラムの建築物が並ぶ街並みを馬車でめぐる旅でした。

私はこの人生でセネガルに何度足を運んだことか。それは最初の時に私のツアーをアテンドしてくれたセネガル人の女性との出会いがきっかけです。まだ22歳で何もわからない彼女はミニスカートをはき、写真を撮りお客さん顔負け、クレームを受けがながらも負けることもなく進みました。私もそんな彼女が魅力的で、母親ほど違う年齢でしたが、いつも彼女と一緒にセネガルだけでなく、西アフリカの秘境を一緒に旅をしました。16年の長い長い絆です。私の人生の中の大切な大切な存在の一人です。

また有名なフランスの作家サン=テクジュベリが『星の王子さま』を執筆した場所としても有名です。パリの大都会にいながらセネガルを思い出しています。ここのパリで私が娘同様に育てたセネガル人の女性にお世話になっています。既に知り合って14年の年月が経過しました。血はつながっていなくても、国籍は異なっても14年、ずっと娘のように、今はセネガルの旅行会社の社長、そしてパリはご主人が仕事の拠点として住んでいる場所です。

このコロナ禍の時に2人の女の子を出産、日本では忘れ去られたお母さん業をしています。100%母乳、いつも子供はお母さんの背中で育っています。これが本来の母と子供の姿だと思います。私はセネガルの娘から現在はいろいろ学ぶことが多い、そして今回の滞在もです。彼女の住むパリの自宅から近いホテルに滞在しています。これから彼女の家で夕食です。もちろん彼女の家族と一緒です。

ああ懐かしいセネガル料理です。

私はアフリカ育ちに人間です。アフリカの人びとは一度知り合い、友達になったらずっと信頼でき、そして助けてくれる。この関係は日本人以上の堅い絆なのです。私は多くのアフリカの人びとにどれだけこれまでも助けられてきたことか。

Miwa World

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどる旅。これまでに訪れた国は150ヶ国を超えています。