パリ最終日はパリの王道・コンコルド広場から

三和 導代 です。

5月10日にパリに到着して、今日が最後のパリの一日となりました。青空が広がるパリはまだ朝晩は肌寒いのですが、日中はからっと晴れ上がり、チュイルリー公園内では木陰でお弁当を食べる人、ワインやお食事を堪能する人、噴水の周りに腰かけて日光浴を楽しむ人で賑わっています。

凱旋門からコンコルド広場、チュイルリー公園、ルーブル博物館が一直線に並ぶ、地下鉄1号線が通るまさにパリの王道です。コンコルド広場はエジプトからのオベリスクが堂々とそびえ、凱旋門やエッフェル塔を一望できるいわゆる観光名所の一つです。まだ日本人客の姿はなく欧米人の人びとが主流です。一年で最も過ごしやすく美しい季節です。

コンコルド広場は、フランス革命ではルイ16世とマリー・アントワネットのギロチン刑が行われた舞台です。1795年にナポレオン・ボナパルトが王党派を鎮圧してから「コンコルド人場」と呼ばれるようになりました。広場の中心部には1836年にエジプトのルクソール神殿にあったラムセス2世が建造した一対のオベリスクのうちの1本が建っています。

オベリスクを見ますと、柱頭に異様に輝く三角錐が目につきます。 1997年に、フランスとエジプトの関係を記念する祝賀の一部として、フランスのシラク大統領が資金援助に同意して、この金のピラミディオンが実現しました。何となく違和感を感じざるえません。オベリスクの台座部分には金色に彩色された碑文などがラテン語で由来が記述されています。南北の側面にはオベリスクを運んだ時の状況が描かれています。北面にはルクソール神殿の正面右側に建っていたオベリスクを搬出する様子が、南面はコンコルド広場にオベリスクを立てた時の様子を見ることができます。

ルーブル美術館にもエジプトの宝はたくさん収めれています。今回の滞在でエジプトでは見ることができなかったオリジナルの遺跡からの遺物を見ることが叶いました。ルーブル美術館は迷路そのものです。3日間通いましたが、全く今回はフランスの作品を見る機会はありませんでした。あの有名なモナリザもミロのヴィーナスもです。

今回の目的はエジプト、シュメール、イランのスーサ、スーダンから展示物であったからです。これだけでも3日間、トータル12時間に及ぶ見学でした。世界の宝を展示しているのは間違いありません。どこの国に行ってもフランスの考古学チームが発掘をしている姿をこれまでに多く出会ってきました。そして多くの子供たちが美術館や博物館に先生や両親に連れられて見学する風景を見て子供からの教育がこのような海外での発掘隊につながることも十分納得ができます。

エジプトでは大学では考古学を専門とする学部がありますが、あまり人気が高くはないようです。エジプトではやはり大学を卒業していい給料のとれる学部に人気があります。まあ、どこの国でも同じ事が言えるかもしれませんが。イスラム教徒は偶像礼拝が禁止されていることから過去の宗教が残した遺物に対する考え方が西洋人とは異なるのかもしれません。

今日最後の訪問地はチュイルリー公園内にあるオランジェリー美術館です。予約なしで入れる美術館です。モネを中心とした20世紀初頭の印象派の作品、ルノアール、ルソー、マネ、ルソー、マリーローランサン、セザンヌなどオルセー美術館に比較しますと、作品数は少ないかもしれませんが、じっくり見学ができます。私が学生時代に大好きだったマリーローランサンの作品もたくさん展示されています。かつて日本にも美術館がありましたが、既に閉館となっていますので、久しぶりに作品群に再会することができました。そしてオルセー美術館にもたくさん展示されていましたがルノアールの色鮮やかな女性や少女の作品は心を和ませてくれる絵画です。

Miwa World

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどる旅。これまでに訪れた国は150ヶ国を超えています。