先住民の建造物ヌラーゲ文化が息づく町トゥイーリへ

三和 導代 です。

サルディニア島の一番の南部にあるカリアルからバスで北上、約1時間半で目的地のバスミニへ。カルアリを出ると、麦畑の収穫後に刈り取られた牧草のサイロの数々、オリーブの木、背後には乾燥した丘があちらこちらに見えます。緑豊かな地には灌漑用の給水ポンプが回っています。野菜をつくっているのでしょう。ここは一年中暖かく、特に夏は雨がほとんど降りませんので、野菜つくりには給水が必要です。

1本道の高速道路をひたすら走りますが、光景はほとんど変わりません。高速道路を降りて小さな村を通りますが全く人通りもなくお店らしきものも全くありません。どこでもコンビニの日本の風景とは全く異なります。バスミニもそんな町の一つです。スゥ・ヌラクシのヌラーゲへはバス停から徒歩で15分の場所にあります。

ここは世界遺産となっておりますが、1950年代までは地下に埋もれていた遺跡ですので、とても保存状態は良好です。1泊から2泊となったため、この遺跡の近くに宿をとっていましたので、遺跡観光は翌日へ、ホテルに直行です。かわいらしいホテル・レストランです。一軒宿で乾燥地帯の中にも花と芝生を植えたオアシスのような場所です。お部屋も広く、中には南国を思い起こす木々のカラフルな花に囲まれています。

この時期は10時近くまでは明るいため、レストランは8時過ぎ位からオープンします。オーナと思われるよく肥えた女性はイタリア語しか通じませんが、おそらく娘と思われる女性も滞在しています。今日は土曜日でこれからミサに行くとのこと。月曜日のバスの時間を丹念に調べてくれました。

そして夕食前にもし歩くのが苦でなければ片道2キロくらい先の町トゥイーリに行くことを勧めてくれました。とてもかわいらしい石造りの町で都会生活の私には田舎生活を見るのも楽しいですよと。結局2時間半コースの散策となりました。本当によく歩いた一日でした。

ひっそり静まりかえった町ですが、一軒一軒がおそらく周辺で採掘されたと思われる石造りの家々が個性的に並んでいます。新しく建て替えられた家にも必ず古い石が使われています。代々この地域ではヌラーゲ文化が根強く残っているのでしょう。石の積み方や選びからはそれぞれの家庭のこだわりがあるようです。現代版の巨石生活です。

町の中に既に廃業したスーパーマーケットの他、お店らしきものが見当たりません。しかしよくよく見ますと表向きは何も看板は出ていませんが、軒先にはすだれのような長いものが何本も垂れ下がった家があります。中をのぞいてみますと日常生活用品を扱うお店です。町の中を散策しながら2軒ほど見つけました。静まり返った町のようには見えましたが、やはり人々は生活を営んでいるのです。

土曜日の日没前の教会のミサには町の中の比較的年配の人びとが多く集まっています。神父さんのお説教に耳を傾けています。現代社会ではすっかり根付いたキリスト教のようには見えますが、昨今のバチカンの様子を見ていますと、長きカトリック教の歴史が閉じようとしているのは間違いなさそうです。

飲み物を補給した後、ホテルに戻るために1歩道を歩いていますと、後ろから1台の車が止まって入れました。とぼとぼ一人で歩いている私の姿を見て気の毒に思ったのでしょう。行先を尋ねられ、車に乗せてくれました。下車後、車をよくよく見ますと、大きくYAMAHAと書かれています。私が日本人であることを知って乗せてくれたわけではないと思いますが、親切な人に迎えられた一日でした。

そしてホテルの最大の目的であった遺跡スゥ・ヌラクシを眺めながらのサルディニア料理と赤ワインのお食事で堪能した一日の終わりでした。日曜日に公共のバスが運行していないためにもう1泊できてこそのエキストラな時間。旅は未定だからこそ楽しいのです。

Miwa World

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどる旅。これまでに訪れた国は150ヶ国を超えています。